こどもの頃の記憶④

 子供ながらに、うちほど派手に喧嘩している家はないと、自覚していた。


なので、友達にも相談しなかった。
先生にも相談しなかった。


今思えば、現実逃避をしていたのかもしれない。
学校にいる間、友達と遊んでいる時間は、普通の子供でいられる。
安全な場所だ、と思っていた。


周りの子たちが楽しそうにしたり、笑っていたり、
ただ話しているだけでも、みんなはきっと、朝、家で怖い思いをしていないんだろう、と
思っていた。


陰鬱な気持ちを持ちながら、やっと安全な場所にいられるんだ、普通にしていよう。
そう思って過ごしていた。


高学年になるにつれて、


毎朝、怒鳴り声がする家を近所の人はどう思っているんだろう。


・・・恥ずかしい。


そう思うようになっていた。



ある日、徒歩5分くらいにある母の実家から、おばあちゃんが来た。
母に用事があったようだった。


帰り際に
「・・・うちまで怒鳴り声が聞こえてたわよ。大丈夫なの?」
と、母に言っていた。


父は朝だけでなく、夜中は母に怒鳴っていた。


母の顔は見えない。「うん」


大丈夫じゃない、大丈夫の意味が分からない。
怒鳴らないことが大丈夫なんだろうか。


助けて


誰に言えば、家族が笑顔に過ごせるのか。
朝から慌てて家を出なくていいのか。


普通の家になるのか。


今見たいにスマホがあれば、調べて行政に相談にいったりしたのかもしれない。


助けてくれる大人を、父も兄も抑えてくれる人を見つけられたかもしれない。


時代のせいではないけれど、この時、よく妄想していた。


第三者が表れて、“もうやめましょう”と言ってくれるのを。
父はきっと、誰が呼んだんだ、と怒り狂うだろう。
だけど、そこで私が泣きながら“私が呼んだの。もうやめてほしい”と言えば
気付いてくれるんじゃないか。


普通の家になる可能性を、妄想していた。


でも、勇気が無くて実行はできなかった。

こどもの頃の記憶③

 兄だ。


兄が起きてくるのは、(正確には自分の部屋から出てくるのが)
8時過ぎだ。


兄と父が顔を合わす。


父「・・・おはようは?」


兄「・・・・」めちゃくちゃ不機嫌な顔


父「・・・・オイ!!!」キレてる顔


父はあからさまに機嫌が悪くなって、タバコをふかすのが早くなる。
感情がもろ顔にでる。


たまに、この後、怒鳴り合いになることもある。
それは、3~4日に1度の頻度で、小学生だった自分にとって
父に似た体格の兄は、私から見たら大男だった。


朝から大男二人が、目の前で怒鳴り合うのである。
始まったときは、自分は空気になったつもりでその場を離れ、
なるべく早く外に出る。


ほんとに事件に発展しかねない勢いの怒鳴り合いに思っていたので、
父と兄が喧嘩して悲しい、とかではなく、
今日は何かが起こってしまうのではないか、という恐怖で心臓が絞られていた。


毎朝、8時すぎたら、なるべく急いで外に出る。
平和な時間をすごしたままの状態で、学校に行きたい。そう思っていた。


どうか、兄が部屋からまだ出てきませんように。


どうか、怒鳴り合いが始まりませんように。


どうか、何も起こりませんように。



父が起きてきてから、家を出るまでの間、毎朝がロシアンルーレットみたいだった。

こどもの頃の記憶⑤

 自分は3人兄弟の真ん中だ。なので、下にも兄弟がいる。


私が幼稚園の時に母が入院した事があり、


まだ1~2歳だった赤ちゃんを寂しいと思わせてはいけない、と思った。


自分が遊ぶ時もずっとそばにいてあげて、ずっと一緒にいた。


歩けなくなったと泣けば、おんぶしたし


砂場で砂山を作っていれば、もっと大きくなるように手伝った。


可愛かった。


荒んだ家の中で、下の兄弟の存在だけが癒しだった。


天使のようだった。


この子は嫌な思いをしてほしくない、寂しい思いをしてほしくない、


そう思っていた。



下の兄弟が小学生になって、自分の友達ができるまでは


自分の友達と遊ぶ時にも一緒に連れて行き、ひとりにはしなかった。